人見知り・内気・口下手の元リクルート営業マンがトップセールスになれた秘訣や、内向的な方でも活躍できる営業術や働き方をお伝えします。日々の営業活動で疲れた時の処方薬としてご活用ください。

内向型営業マンの処方箋

プロフィール

このブログについて

「人が何かをきっかけに行動や生き方が変わっていくさま」を見ることが好きです。

そして、そのきっかけが僕自身の言動によるものであれば、なおうれしいと感じます。

そのために、このブログで発信をしています。

 

なぜそのように思うようになったかというと、僕自身の体験にあります。

 

僕は、もともと内気・人見知り・物静かな性格で、特別な才能や取り柄もなかったので、そんな自分に自信が持てずにいる子どもでした。

運動神経の良いクラスメート、勉強が出来る友人、いつも明るくて自然と輪の中心にいる友人を見る度に、「どうせ自分は・・」と劣等感を感じていました。

 

そんな僕が変われたキッカケは、周囲からの励まし・勇気付けの言葉でした。

 

「お前なら出来るよ」

「頑張ってるじゃん」

そのような言葉に何度も心が救われました。

 

運動音痴の僕が、大学では駅伝の全国大会に3年連続で出場しました。

対人コミュニケーションが苦手な僕が、リクルートで営業を行い、MVPを5回獲得しました。

 

もちろん、能力・センスがない分、自分自身を律し、人一倍勉強をしたり時間を掛けたこともありますが、そのようなモチベーションを保てたのは、僕という存在をありのまま受け容れてくれた、恩師・上司・同僚の励ましのお陰でした。

 

そうした経験から、

「自分と同じように、自信が持てず日々葛藤をしている人に勇気・気づきを与える存在になりたい」

といつしか考えるようになりました。

 

営業先のお客様からは、

「営業マンは大嫌いだけど、高橋くんだけは信頼できた。」

「高橋さんが担当でいてくれて本当に良かった。」

と言って頂けたり。

 

会社の後輩からは、

「社会人になって一番尊敬しているのは高橋さんです」

と大勢の前で感謝の言葉を述べてもらえたこともありました。

 

自分が関わったこととで、相手が抱える悩みや不安を少しでも和らげる存在になれていたことに喜びを感じました。

 

「もっと沢山の方の悩みや不安を解消したい」

そう考えた結果、

2020年3月で会社員を辞め、フリーランスとしての活動を開始しました。

 

今までは会社員・営業職として、直接対話をすることで、相手に価値を提供することを行ってきましたが、今やインターネットを活用すれば、直接お会いできなくても、多くの人に情報を届けることが可能です。

 

そのため、現在は、インターネットを通じた文章を生業(なりわい)とする仕事を行っています。

 

このブログでは、何かのキッカケ・ご縁でこちらにたどり着いて頂いた方に向けて、少しでも新しい気づきや行動に繋がる情報を発信していけたらと思います。

 

特に僕のような、人見知り・内気な内向型営業マンの方にとっては、共感頂ける内容もあるかと思いますので、ぜひ営業活動のヒントにしていただけたらと思います。

 

高橋 洋介(たかはし ようすけ)のプロフィール

私のことを少しでも知ってもらえたらと思いましたので、プロフィールをまとめました。

 

時系列で少し長いので、適当に読み飛ばしながら、流し読みしてください。

(興味のない方は読まなくてダイジョウブです。)

 

幼少期〜小学生

生まれつき極度の人見知りで、幼い頃は、母親の後ろにすぐ隠れるような子どもでした。

小学生の頃は身体も小さく、体育も苦手で、控えめな性格だったので、目立たない存在でした。

劣等感からか、自分を大きく見せようと必死にクラスの中心グループに混ざっていましたが、

標的にされやすく、仲間はずれにされることや無視をされることもありました。

中学生

中学生になり身長は伸びましたが、性格までは変わらないので、「自分軸」というものが無い学校生活を過ごしていました。

 

当時ブラックバス釣りが流行っていて毎週のように釣りに行っていました。

ただ、友達がやっているからという理由でやっていただけだったので、全く上手くなりませんでした。

また、当時の悩みは、自分は将来何をやりたいのかわからないことでした。

高校生

高校選びは、親・兄弟含めて周囲に大卒者がいなかったので、「自分も高校卒業したら就職するんだろうな」と思っていました。

それなら就職率が高い高校が良いだろう。という浅い考えで、進学校は選ばずに、工業高校を選びました。

ランクは落としましたが、それは推薦入試で早く受験勉強から開放されたいという気持ちもあったからです。

 

高校では、陸上部に入りました。

スポーツ(特に球技)は全般苦手でしたが、中学生のころに駅伝メンバーに選ばれるなど、走ることだけは苦手ではありませんでした。

ここが僕のターニングポイントでした。

 

部活の顧問の先生は、非常に熱血な方でした。

元インターハイ選手ということもあり、「インターハイに出るぞ!絶対夢は叶うぞ!」と常に熱く言っていました。

僕は、「インターハイなんて、元々才能に溢れた人たちだけが出れる場所だ」と思っていました。

 

元々、人と競うことも苦手で、それまでストイックな環境に身を置いたことがなかったので、そうした言葉は到底信じられませんでした。

ただ、実際2つ上の先輩でインターハイ出場・国体8位になった選手がいたり、他にも県大会上位を争う先輩方が沢山いました。

そうした先輩達は、普段からとにかく言動が前向きで、練習もストイック。

そのような姿勢を見て、「自分もこういう先輩達のようになりたい」と思いました。

 

そして先輩方も、

「高橋は絶対強くなれるから頑張ろうな」「インターハイ出ような」と声を掛けてくれました。

実際、何も根拠はなかったと思います。

ですが、生まれて初めて自分を認めてもらえた気がしました。

それが嬉しかったのです。

自分はここで頑張って結果を出そう。と、自分の居場所が出来たように感じました。

 

部活が休みの日も、自主練習は必ずやりました。むしろ、周りが休む時こそ差をつけるチャンスとばかりに、普段の倍の練習を1人で黙々とやりました。部活が終わった後も、もう一度シューズを履き直して、1人で追加練習するなどしていました。

やればやるほど記録が伸びました。

初めは全く練習で勝てなかった同期にも勝てるようになり、他校で実力者と有名だった選手にも試合で勝てるようになりました。

 

そしたら、自然と仲間が増えました。

「○○高の高橋くんだよね?」「いつもどんな練習してるの?」と、自分の競技力が上がるのと比例して、仲間が増えていきました。

小中学校の時は誰かと仲良くすることに必死だったのに、共通の目標・目的があれば仲間は自然と集まるものだということを知りました。

 

そして、頑張りは必ず見てくれている人がいました。

コソコソ人一倍練習しているのを顧問の先生はちゃんと見てくれていました。

 

「大学でも陸上やらないか?」

「俺の昔の生徒で、今大学で陸上部の監督をしているやつがいるんだ。高校で果たせなかった全国大会出場を、大学で果たさないか?」

と言ってくれました。

就職をするつもりで工業高校を選び、陸上は高校までと考えていたので、大学進学なんて頭にもありませんでした。

 

でも心の中では、陸上をもっと続けたいという気持ちがありました。

数日悩みましたが、自分の気持ちを正直に親にも話し、大学進学することを決めました。

 

運動音痴の僕が、まさかスポーツ推薦で大学進学をするとは、親は夢にも思わなかったことでしょう。

大学生

進学した大学は、東北内で陸上の強豪として有名でした。

高校の時とはまるで違うレベルの環境や、大所帯のチーム(80名位いた)に、戸惑いもありましたが、全国大会出場を夢を叶えるべく毎日必死でした。

また、同期・仲間にも恵まれ、日々練習で切磋琢磨したり、もっと強くなるためにどうしたらいいかを語り合う生活は毎日充実していました。

 

1年生の時は、駅伝メンバーのレギュラーに入れませんでしたが、2年〜4年はレギュラーの座を勝ち取り、3年連続で全日本大学駅伝に出場をしました。

4年生の最後の全日本出場後、出場記念でもらったメダルを、高校の顧問の先生に渡しました。

そしたら、「俺の夢を叶えてくれてありがとう」と言われました。

先生は、箱根駅伝出場を目指して大学進学をしましたが、4年間を通じて全日本・箱根駅伝を走ることは出来なかったそうです。

自分が果たせなかった夢を、いつか果たしてくれる選手を育成したい。ということが指導者になったキッカケだったそうです。

僕は箱根ランナーではありませんでしたが、全日本のメダルを嬉しそうに受け取ってくれました。

 

 

 

 

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